アンデス研究史序説 |
2015年6月20日(土) 講義概要
講師:加藤泰健(埼玉大学 名誉教授)
場所:東京外国語大学本郷サテライト5F
アンデス考古学研究の歴史は、18世紀後半頃から始まります。最初は異国の事物に関心を持ち、海外の資料蒐集をすることから始まりました。スペインのカルロス2世が、1770年代にペルーの植民地の事物を本国に送るように命令し、同時にマドリッドに王立自然科学博物館を創設しました。フランスでも、植物学者のドンベイは植物採集のついでにペルーで採集した土器400点をルイ16世に献上しました。
19世紀前半に入ると、ペルーでは独立宣言と共に国立図書館、国立博物館が創設されます。フランスのペルトは、地質学の原理を考古学に適用し、「層位学」の必要性を説きました。またこの頃、紀行書や歴史書の出版が相次ぎ、スティーブンスの『中米・チアパス・ユカタンの旅』(マヤ考古学の始まり)やプレスコットの『ペルー征服(上下)』、ペルー人のヨハン・チュディの『ペルーの古代』が発刊され、人々の歴史への関心を引きつけました
アンデス考古学を確立したのは、後に「ペルー考古学の父」と呼ばれるウーレとテーヨです。マックス・ウーレは、1856年にドレスデンで誕生し、1892年、ベルリン博物館のコレクション蒐集のために南米を訪問、3年間の調査の後、資料をベルリン王立民族博物館に送りました。その後、1898年の米西戦争に勝ったアメリカの各大学と契約し、パチャカマ遺跡、ワカ・デル・ソル遺跡、チャンカイ遺跡、アンコン・スペ(カラル)等を発掘しました。
もう一人のペルー考古学の父と言われるフーリオ・C・テーヨは、1880年にリマでインディオとして生まれ、国費でハーバード大学へ留学し、1911年に人類学の修士号を受けました。その後イギリスで博物館運営について学び、1913年ペルーに帰国し、国立歴史博物館の改革案を提案し、認められて博物館の人類学部長になります。1919年にはサン・マルコス大学考古学人類学博物館館長となって、チャビン・デ・ワンタルのランソン碑を発見します。更に1923年にはサン・マルコス大学教授、翌年には新設された国立ペルー考古学博物館館長に就任します。1927年には、パラカスの墓場遺跡から429体のミイラ堤を発掘します。ウーレは1944年に88才で、テーヨは1947年に67才で死去します。