ニカラグア太平洋岸の考古学 |
日時: 2017年3月25日(土)
講師:長谷川悦夫(埼玉大学非常勤講師)
場所:cafe¢y libros(文化サロン)
先生は、学部時代に青年海外協力隊の一員としてホンジュラスのコパン遺跡やエル・プエンテ遺跡の発掘に従事され、その後、大学院時代は東大大貫先生の元でアンデスのクントゥルワシ遺跡の発掘に参加されました。そのような経過から、その両者の中間領域である中米の考古学に興味を持たれ、現在はニカラグアの遺跡発掘に従事されています。ニカラグアは、1821年にスペインから独立し、東にホンジュラス、西のコスタリカに挟まれた、面積約13万㎢の小国で、首都はニカラグア湖南岸のマナグア市です。人口は610万人、GNP 105億ドル、ざっと北朝鮮の1/4の規模の国であります。 中間領域では、紀元前4000年頃に遡る土器が発見され、農耕の歴史も古く、紀元前3000年迄は、アメリカ大陸の中でも先進区域でした。考古学的には、コスタリカ北西部やニカラグア太平洋岸がメソアメリカと中間領域の境界といえますが、コパンより東では大規模な建造遺物は殆ど見られず、マウンドも高さ1~2m位の物が多く見られます。ニカラグアでは、革命や内戦による政情不安で、予算も無く、他国に比して考古学が進んでいません。
ニカラグア太平洋岸とコスタリカ北西部に於ける土器編年は、オロシ期(2000~500BC)、テンピスケ期(500 BC~AD300)、バガセス期(AD300~800)、サポア期(白色スリップ彩色土器が特徴AD800~1350)、オメテペ期(AD1350~1550)と定義されていますが、ニカラグアのほとんどの遺跡で、バガセス期とサポア期の間に断絶があり、継続していません。これは800年以降にトルテカに圧迫されたメソアメリカ系の民族がニカラグアへ移住してきたためではないかと推察されています。