西アジアとその周辺の考古学 -農耕牧畜の成立と拡散 |
2017年9月16日(土) 講義概要
講師:西秋良宏(東京大学総合研究博物館)
場所:東京外国語大学本郷サテライト5F
西アジアの肥沃な三日月地帯では約11500年前に穀物栽培、11000年前には家畜飼育が始まりました。そして1万年前以降になるといずれの技術もほぼ完成し、各地に拡散していきます。本日は、農耕牧畜が各地にどのように拡散したのかについて、先生が近年、関わってきた二つの遺跡調査の成果をもとにお話しされました。
第一はシリア乾燥地帯の場合。セクル・アル・アヘイマルという遺跡を2000年から11年間、掘りました。穀物や家畜を携えた集団が9500年くらい前に平原地帯に移り住んだ遺跡です。穀物も家畜も自生していないところですから、アナトリアの山麓地帯から全て持ち込んだものと考えます。
もう一つは、シリアの北500-600キロにあるコーカサス地域。2008年から毎年、アゼルバイジャンで調査を続けています。中石器時代のダムジリ洞窟、新石器時代初期の集落としてギョイテペとハッジ・エラム・ハルン・テペという三つの遺跡を発掘しました。その結果、約8000年前に突然、それまでの中石器狩猟採集社会に代わって農耕牧畜村落が出現したことがわかりました。当時、短期的な気候変動があったことが知られていますから、それが関係したかと思います。
どちらも農耕牧畜発祥の地かの近隣地域です。コーカサスでも東京岡山ほどの距離です。なのに農耕牧畜が伝来するには千年単位の時間がかかった。農耕牧畜は急速な人口増を可能にしますので、適地があれば、一気に拡散したのではないかとも思われますが、そうではなかったということです。内陸シリアに拡散するには、乾燥地開発に不可欠な牧畜技術の完成を待たねばならなかった。コーカサスの場合、気候は申し分ありませんが、先住の狩猟採集民がいました。気候変動による彼らの人口減が拡散の契機となったようです。これら二つの調査は、新天地の自然環境と先住社会、この二つが農耕牧畜の拡散にかかわっていたことを示しています。